娘の仕事関連で孫の子守り係として
弾丸ソウルに二泊してきた。
とにかく韓国の人々は親切で明るくて活気があった。
友達になりたい〜そんな感じの人たちばかりでした。
でも一番感動したのは帰りの飛行機で隣に座った日本人の女性である。
最初は自分の席と私の席を勘違いして、どけとばかりの強い語調に「何?この人」と思った。
ところがしばらくすると、そんな事は何もなかったように話しかけてくる。
マイペースなのである。
そして私よりよほど韓国通の様子に、ついこちらも話かけてしまう。
それもそのはず、2年間韓国の孤児院でボランテイアをしていたというのだ。
なかなか人には理解されないのだけどと言いながら
日本が韓国を植民地支配していたことに思いを寄せて、罪滅ぼしの気持ちでそれをしたと。
お父様が韓国で働いていたという環境も一因だったらしい。
大学生の息子さんと義理の母親を日本に置いて(ご主人は早逝されて)
2年間が精一杯であったという、20年前のこと。
そう、年齢を聞いて二度びっくり、とても見えない82歳である。
髪は黒々として染めてないというし
きゃしゃな身体に荷物はバックパック一つで
友達3人と個人旅行だ。
帰りは高速バスで蒲田まで帰り、そこから目蒲線で自由が丘に出て
さらに東横線に乗り換えて学芸大学前まで帰るという。
夜遅い便だからタクシーで帰るかと迷っていた自分が恥ずかしかった。
素晴らしい魂に出会った気がした。
さあ、自分はどうだろう。80代まであと15年?
まずは甘えを捨てて、帽子とヨガというツールを手に魂を磨いてゆきたいと思ったのである。
どこかに行って奉仕活動するのは無理だけど
足元の自分の生活の中でそれを実践するのだ。
「まだまだ60代は働き盛りよ〜」彼女に言われたこの言葉を励みにしてね。
国際線の羽田空港に慣れていなくて
バスのチケット購入にヘルプしてくれた若い男性
バス乗り場を教えてくれた東南アジア系の可愛い女性
新宿駅ではスーツケースを運んでくれた素敵な男性
日本に着いてからも、たくさんの親切に囲まれて家に着いたのは午前0時過ぎ。
夫がお風呂を用意して待っていてくれた。
愛と感動と、この旅行を誘ってくれた娘への感謝の旅であった。
写真は1枚目:デパートの食堂街のプルコギ
2枚目:金浦空港のキンパ
3枚目:雪の韓国村(古い住宅の残る街並み)
その他の写真はこちらからもご覧いただけます。
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