帽子との出会い

今日は帽子との出会い、そのきっかけについて書いてみます。

1981年に最愛の母を亡くした私は23歳
就職して1年目の会社も看病のために休職して宙ぶらりんな状態でした。

そんな時、何を考えたか、「風呂敷屋をやる」と宣言したのです。
それを聞いた従兄弟が「風呂敷なんてダメだ、帽子をやらないか」と
私を国立にある帽子のアトリエに連れて行ったのです。

従兄弟は彫刻家で兄弟子の奥様が国立でアトリエを主宰していた関係で
ピンと閃いたのであろう。

通りに面して奥様の帽子のアトリエがあり
奥が自宅兼彫刻家の旦那様のアトリエになっている素敵な日本家屋だった。

二十歳そこそこの小娘の私は、そこに飛びつくように魅せられてしまった。
なにしろ、素敵なアトリエとお宅だった。

でも、それが丁稚奉公だとは、、、
では明日からいらっしゃい、と言われるままに行った翌日に気がついたのである。

甘ちゃんというか世間知らずというか、今となっては笑い話のように感じるが
父と祖母と私と3人で暮らしている高円寺から国立まで
普通のお勤めのように電車で通った。

特に帽子が好きということもなかったのに、成り行きでそうなったのは
物作り(特に手芸)が好きだったし、お洒落も好きだったからだと思う。

そこは芸術家の家らしく色んな人が出入りをしていて
勤め人の父を持つ私の家とはまるで違う家風だった。

じゃがいもがどこどこから届いたからと大鍋で茹でて
芋で飲み会だ〜と宴会が始まった時は私も座敷に座らされた。
本当にシンプルにじゃがいもと塩とバターがテーブルに載っていた。
そしていつもは気難しそうなお顔の彫刻家のご主人様の
実に楽しそうな様子が思い出される。
(そう、彼は愛想笑いというものをしなかった。)

物珍しいこともあったし、感心することもあった。
たくさんの事を学ばせてもらった。
可愛がってもらっていたんだな〜改めて感謝だ。

しかしながら、大変に未熟者の私であったために、長く続かなかった。
食事が喉を通らなくなって
紹介者の従兄弟に泣きついて、丁稚奉公から生徒へと格下げ?してもらったのである。

そんなこんな、思い出してみると
御恩に報いるどころかご迷惑ばかりで恥ずかしくなる。

40年以上前のこと、成り行きで始めたようだけど
母を亡くした寂しさを埋めるものとして「帽子」が必要だったのだ。

つづく

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